むちうちっていったいなんなんだ

自分で掘った人生の落とし穴に落ちた私は這い上がれるのか

幸せの数値化

中3の長女は受験勉強をするべきだが、夏休みダラダラと過ごしているようにしか見えない。

塾には行かせていないと言うよりは、本人に行く気がまったくない。

無理にでも行かせるべきなのかもしれないが、私もそこまでする気がない。

うちのやつも教育熱心なほうでもない。

 

以前の私ならどうだろう。

もしかしたら違ってたかもしれない。

 

今でも学力テストの結果はとても気になるし、少しでも偏差値の高い高校へ行ってもらいたいとも思う。

 

ただそれが幸せと直結しているわけではないし、娘の将来なんて親の関わるところではない。ただ見守る事しかできない。

 

県内偏差値ランキングなんてつまらない資料がある。

何でも数値化したがる時代だが、最も重要な事が数値化できていない。私なら幸せ偏差値ランキングを作ってみたい。

 

今日も長女はダラダラとソファでスマホ

 

ここまで、ずいぶん偉そうな事を書いたが、やはりイライラするものはイライラする。

 

さて、このイライラは数値化できるのだろうか?

意外に幸せ偏差値が高かったりするのかもしれない。

憧れの人

部長は私に協力会社で一年ぐらい勉強してこないかと言った。

その頃の私は仕事が楽しくて湧き出るようなやる気を感じたし、部長を尊敬し憧れていた。

不安もあったが、「行かせてください」と返事をした。

理由はわからないが、結局その話は実現しなかった。

それでも私は部長の気持ちが嬉しくて、自分で勉強して制作を開始した。

それから1年経ったころにはもう少しで部長の思いを実現できるところまで来た。

 

そんなある日、月曜なのに朝礼は副部長だった。

 「昨日、部長が倒れました。」

 

部長は癌で、即入院だった。

 

しばらく経ったころ、ふいに部長が会社に来た。少し痩せたように見えたが相変わらず格好良かった。

 

その頃には私は仕事を完成させており、まずまずの結果を出していたのだが、その事は部長の耳にも入っているらしかった。

 

「お〜お前、良くやったなぁ、なんで(その商品に)俺の名前付けねえんだ」

 

部長は私の少し遠くから歯を見せて笑いながら言った。私は緊張しながらも泣きそうになったのを覚えている。

 

それが部長の声を聞いた最後になってしまった。

 

尊敬し憧れた部長に私は少しでも近づけただろうか?

あの格好良さには遠くおよばないが、仕事を楽しむことに関しては少しだけ近づけたのではないか。

 

あの世と言うものがあるとしたら、部長はきっと私を褒めてくれているのではないかと思っている。

 

部長と今の私とでお酒を飲めたら。

考えただけでも胸が詰まる。

尊敬する人

部長の思い出は多くはないのだが、強く記憶に残っている。

格好良くて、厳しくて、あたたかい。

 

私が新入社員として配属された部署が希望していたものとは違っていたこともあり、私はやる気もなく、やらされている感を態度にまで出していた。

当然、その部署に馴染むことはできず、出社してから帰るまでに、人と会話をした回数を数えられるほどだった。

 

私が入った会社は歴史のあるメーカーで、部の席順は古いタイプだった。部長が前にこちらを向いて座り、課が島になっているあれだ。

 

新入社員のわたしは部長から最も遠い場所に座らされ、与えられた課題をつまらなそうにこなしていた。そんな状態が数ヶ月続くと私はどんどん萎縮していき、会社を辞めることを考え始めた。

 

そんな私を見かねてなのかは分からないが、ある頃から、部長が部長席から私の名前を大きな声で呼ぶようになった。私は慌てて小走りになって部長席に行くのだが、新入社員の私に部長が大した用があるわけもない。

部長は何故私を呼んだのだろうと思うような質問をしてくる。

 

「こんな問題があるんだけどよ~、お前どう思う」

今思えば私にも答えられるような簡単な質問をしてくれていたのだが、馬鹿な私は得意になって回答していた。

 

そんな状態が半年ほど経ったころには、少しずつだが先輩との会話が増え、仕事が楽しいと思えることもあるようになった。

 

その後私は部長のお陰もあり、社内結婚をするのだが、それほど職場に馴染めるようになっていた。勿論、部長には主賓の挨拶をしていただいた。

 

ある日出社すると、月曜なのに朝礼は副部長だった。

 

「昨日部長が倒れました。」

 

 

 

長くなったので、[続く]にします。

 

 

嬉しさをブログに

久々の出張からの帰り。

尊敬する先輩との仕事は楽しい。

 

 私が新入社員のころ、既に亡くなってしまったが今でも尊敬する部長に言われたことがある。

 

「人生の半分は仕事をしているのだから、

仕事は楽しくなければいけない」

 

 

私はどちらかというと、大した目的もなく大学に進学し、大した志もなく就職した、そんなタイプだ。

 

ただ、その部長に憧れ、楽しむことを努力した。

仕事は楽しくなっていき、仲間が増えていった。当然辛い事もいっぱいあったが、順風満帆だった。

 

そんな時、落とし穴に落ちた。

突然だった。目の前が真っ暗で絶望なんて生易しいものではなかった。

 

また、先輩と楽しく仕事ができるなんて考えられなかった。

 

出張の帰りの電車はすいていて座ることができた。

この嬉しさをブログに書いている。

 

 

フィニッシュ体制

少し早い気もするが、私はフィニッシュ体制に入り始めている。

とは言っても、もう少しであの世にという意味ではなく、マラソンでいうところの30キロを超えてゴールまでをどう走るかを考え始めたという意味だ。

健康に気を使いすぎてやりたい事を我慢しても、意味はない。

あの世でも体調と言うものがあるなら話は別だが。

 

おそらく、金と健康はあの世には引き継げないだろうから出来るだけ使い切った方が良いというのが私のフィニッシュ体制だ。

 

これまたおそらくだが、生きることに意味なんてない、ならば楽しく生きる努力をするしかない。

サウンド オブ ネック

首の音について何度か書いてきた気がするが、2年以上たった今の状態について。

 

あきらかに受傷後すぐは、くびがふにゃふにゃな感じがして、これまで経験したことのない重い痛み。

しかもその痛みは波がなく一定。

激しい怠惰感とめまい、無気力が襲ってきた。

首を動かすとシャリシャリと音が聞こえる。

私の場合半年以上その状態が続き、精神的に限界がきてしまう。

 

首の音は少しずつシャリシャリからジャリジャリに変わり、一年経った頃には、多少コキコキと言う音が聞こえるようになった。

 

さて、2年を過ぎた今はと言うと。

多分だが普通の人と同じ音がしていると思う。

 

脅すわけではないが、このブログにたどり着いた人で首の音がシャリシャリしていたら、私と同じようなタイプかもしれない。

 

 

海水浴なんて

家族旅行なんて何年ぶりか?

私は海水浴が嫌いで子どもたちが行きたいと言っても却下し続けてきた。

長女は中3になってしまった。

 

今年会社の友人が伊豆に旅行に行こうと言う。

しかも海水浴場のあるホテルだ。

 

子供達への感謝の気持ちをこめて、行くことにきめた。

 

涙が出るほど贅沢な出来事だ。

 

うちのやつも海水浴ではないので、子供達は友人に任せて、二人で観光でも楽しもうか。

 

私には友人と家族に感謝出来ることが何よりも素晴らしいことなのだ。

行ってきます。

ここ二年ぐらい目覚ましをセットして眠ったことはなかった。

 

今日はなぜだか、いつもなら家を出る時間に目が覚めた。

三女に今何時?と聞く。

七時〜。

ウソでしょ?

 

慌てて時計を見ると七時を少し過ぎている。

うちのやつはキッチンにいる。

 

どうして起こしてくれないのだ。

 

取り敢えず牛乳を飲んで歯を磨いた。

 

私はうちのやつに言った。

寝坊なんて健康な証拠だよね。

 

うちのやつはキッチンで笑っていた。

 

この健康を失うのが怖い。

 

久しぶりに「行ってきます」の一言に感情をこめる。

 

贅沢かな

もし、むちうちになってしまって苦しくて苦しくて、このブログに辿り着いた人のために

今の私の状態を書いておきたい。

 

あの日から二年二ヶ月を超えた。

薬は飲んでいる。

日によって体調がすぐれない日もあるが、大したことはない。

少しの不安はあるが健康だ。

 

いろいろあったし、これからもあるだろうが

それはどんな人でも同じ。

 

少し早いがこんな風に思う。

 

娘たちが一人前になるまで、私が楽しく生きていて

もう少しうちのやつと楽しく生きられればラッキー

孫の話をうちのやつとできたら、、、贅沢かな

 

 

奇跡のメッセージ

この年になると新しく友人を作る機会はあまりない。

同世代の友人ということになると全くと言って良いほどなくなる。

 

私が実家で療養していたときは、新しく友人を作るどころではなく、人と会話することすら出来ない状態だった。

 

 

娘の友達のパパからLINEで、お知り合いになれて休日が充実しています。と頂いた。

 

もらった方も照れくさい内容だったが私にとっては奇跡のメッセージだ。

 

人は楽しくなければならないし、人と関わっていなければ楽しくない。

 

楽しさの為に働くし努力もする。

楽しさの為に休むし飯も食う。

 人を楽しくさせる為に私も楽しむ。

子供達が楽しく過ごせるために。

 

これが断ち切られた時の地獄が怖い。

 

地獄の出口にあったこのメッセージは私にとって奇跡のメッセージ。

 

また地獄に出掛ける事があっても、このメッセージを見つけよう。

嬉くもあり寂しくもある

三女は3月末が誕生日。

今は閉まってしまったが、川沿いの産婦人科で生まれた。

その川には桜の木が立ち並び、この季節には綺麗な花が1キロメートルにわたり咲く。

三女が生まれた時も桜が咲いていて、まだ名前が決まっていない赤ちゃん見学のついでに、上の二人を連れて三人で歩いたことを思い出した。

 

今年は雨の桜になってしまったが、5年生になった三女を連れて長い長い桜の土手を歩く。

 

良い事も辛い事も過ぎてしまえば、あっと言う間の出来事で、また桜の季節がやってくる。

 

桜は毎年同じ姿を見せてくれるが、子供達は成長し大人になっていく。

 

嬉くもあり寂くもあるとはこの事だろう。

 

 

 

ナイスキー!

ナイスキー!

アタックが決まったときのかけ声だ。

すっかりバレーボールにはまった私は、毎週末は娘の練習試合を見に行く。

 

いつしか、見学に来るパパママは大人数になっていった。

練習試合を見るのはもちろん楽しいのだが、パパママと集う事も目的になっている。

 

あと3ヶ月もすると、3年生最後の大会。

負けた時点で引退だ。

 

パパママも引退なのだろうか?

出来ればこんな関係が続けられると良いのだが、そうはならない。

 

これまで、こんな時間が続けば良いと感じたあと、そこにとどまれたことはないからだ。

 

子供たちの成長のスピードは止められないし、年をとるほど時間は短く感じる。

 

ただ形を変えながら、日常が進んでいく。

その時にまた、こんな時間が続けば良いと感じていられれば、ナイスキー!と言うことだ。

自分のために。

どうにかこうにか日常が回り始めている。

健康の不安をたまに忘れることもある。

 

産業医に「どう?」と聞かれたときには、

 

「行けるところまで行くしかないですね。」

 

と答えた。

 

自分でもどういう意味なのかよくわからない。

 

やっと自分の置かれている状況を受け入れ始めたのかもしれない。

 

欲を言えば、娘たちが自立できるようになるまで何とか私を今の状態でいさせてもらいたい。

 

朝起きて、行ってきますと言える喜びを、ただいまと我が家に帰る幸せを。

忘れることはないので。

 

苦しいときにも、楽しいことを。

楽しいときには、その瞬間を大切に。

友人に支えられながら。

 

家族のために。

もちろん自分のために。

 

幸せ

仕事帰りに悪友と食事。

私のお気に入りのイタリアンで。

 

仕事をして帰りに呑みに行ける喜びがわかるだろうか。

どんなに贅沢で幸せなことか。

 

つまらないバカ話をして、時間があっという間に過ぎる事が。

 

この幸せは当たり前ではないのだ。

 

心配してもらい迷惑をかけた悪友に、ご馳走する。

 

こんな幸せなことは無い。

 

健康にいくら感謝し過ぎても足りない。

 

帰りにコージーコーナーのエクレアを買って子供達のお土産にする。

 

喜ぶ顔を思い浮かべながら。

 

 

純粋

長女のバレーボールの大会。

チームは全力を出し切った様に見えたが、ボロ負けだった。

 

彼女達は朝と放課後、休日も練習を続けてきた。

顧問の先生は厳しさの中に暖かさがあったが、思春期の娘達にはそれが伝わらず、不満を表す娘もいれば、悔し涙を見せる娘もいた。

 

それでも一生懸命に毎日毎日練習してきたのだから、勝たせてあげたかった。

 

相手の選手達はその何倍も練習してきたのだろうか?

全く歯が立たなかった。

 

先生は彼女たちを酷く叱ったが、それにより

彼女たちの悔しさは和らいだのかもしれない。

 

また明日から練習。練習。練習。

 

 

試合は勝てなくても、彼女たちが学んだことは何よりも大切で、何よりも純粋な事なのだと思う。

 

しかし、

未熟な私は

悔しくて悔しくてたまらなかった。

 

誰か私を叱ってくれないものか。